位相検波器
位相検波器とは
微小信号を検出する測定器である当社のロックインアンプは、大きな雑音に埋もれた数μVオーダーの微小信号の測定が可能です。そのキーテクノロジーデバイスとして位相検波器(Phase Sensitive Detector 略してPSD) が使われています。そこで今回は当社のCD-552シリーズでモジュール化もされている位相検波器について解説します。
基本的な考え方
位相検波器を心臓部とするロックインアンプは単一周波数の微小信号を検出する事に特化しています。処理している内容は測定対象の信号を減衰させずにノイズ成分のみを減衰させるというシンプルな考えに基づいています。
ノイズ成分はホワイトノイズに代表されるように全周波数帯域で存在しているので、測定対象を単一周波数とすれば対象周波数以外に存在するノイズ成分をフィルタにて除去する事によりSN比を向上させることができます。
単一周波数以外を減衰させるフィルタとしてバンドパスフィルタ (BPF) がありますがBPFの帯域を狭めるのには設計上の限界があり、例えば10kHzの中心周波数で1Hz帯域幅のBPFを作ることは困難です。それに対しローパスフィルタ(LPF)は回路が単純なため遮断周波数を低く抑える事が可能で、1Hzに遮断周波数を設定することも容易です。ここに注目して位相検波器では、対象信号を直流成分に変換したのち遮断周波数が低いLPFでノイズ成分を除去することによりSN比を向上させる、という手法を取っています。
信号成分を直流に変換した後1Hz帯域のLPFを通過させる事は、元の周波数の信号に1Hz帯域幅のBPFを通過させるのと同等の雑音除去能力となります。ホワイトノイズに関してはフィルタの帯域幅を1/10にすると理論的にSN比は10dB (約3.2倍) 改善しますので、本手法の効率が高いことが分かります。
1. 検波器による信号振幅測定
位相検波器には2つの入力(信号入力と参照入力)と1つの出力(位相検波出力)があります。前述の手法を実現するため、参照入力の周波数は信号入力の周波数と同一にします。(同一周波数信号を乗算器で混合すると直流成分と倍周波数成分が生じます。※)
※ | 三角関数の積和公式 | |
より ω1 = ω2 = ωのときに直流成分と倍周波数の成分が生じる。 |
そしてLPFを通過させて倍周波数成分を取り除いた直流出力電圧値は入力波形の特性を用いて式1、2で表されます。
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または |
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ここでAは信号入力に印加される正弦波の振幅(pk値)、θは信号入力と参照入力の位相差とします。
位相検波器の出力は信号の大きさと参照信号との位相差で決まり、図1、2のようにサイン検波器は位相差がゼロの時に出力電圧が0Vになります。コサイン検波器は位相差がゼロの時に最大出力になり、信号入力の大きさAが直流電圧に変換・出力されます。
ここで信号入力の大きさを求めるためには、位相検波器の出力が最大値になるように参照信号の位相を調節する必要が出てきます。ところが出力の最大値付近は位相差に対する出力電圧変化が小さいため位相差の調整精度が良くありません。このような時は位相検波器の出力を位相差に対する電圧変化が大きい領域にある0Vの出力となるよう可変移相器で位相を調整し、その後90°位相を変えると容易に出力の最大値と位相を精度よく測定できます。
次の三角関数の公式 cosθ = sin(θ+90°) から分かるようにサイン検波器の位相を90°ずらすとコサイン検波器の特性が得られます。当社のCD-552シリーズの位相検波器は90°移相機能を内蔵しておりサイン検波・コサイン検波を外部信号により切り替えることができるので、前述した測定を容易に行う事ができます。上図で言うと図1サイン検波器出力を参照信号の位相調整にて0Vにした後、検波器の位相を90°変えて図2コサイン検波器の出力に切り替える事により検波器出力の最大値を容易に測定することができます。
また位相差を調整する方法として当社では電圧制御移相器モジュール CD-951 シリーズを用意しております。外部電圧制御にて参照信号の位相を360°移相させる事ができますので、どのような入力信号の位相とも同期させることが可能となります。
2. 位相検波器の信号処理過程
位相検波器の信号処理過程を、実際の波形を用いて確認してみましょう。
まず検波器の入力に図3のようなノイズ成分を含んだ 10kHz, 250mVpkの信号を入力し、10kHz の参照信号を用いて検波します。
次に検波器の出力波形を確認してみます。図4は乗算処理された検波器出力に遮断周波数10kHzのLPFを通過させた時の波形です。10kHzまでのノイズ成分とLPFで充分に減衰できていない倍周波数成分が重畳している事により、ノイズに埋もれた直流成分を精度よく測ることができなくなっています。
ここでLPFの遮断周波数を100Hz、1Hzと下げていくと図5、6のようにノイズ成分が小さくなり、測定対象信号が直流変換された成分を精度よく観測できるようになります。これは元信号の10kHz信号に帯域幅100Hz, 1HzのBPFにて雑音を除去するのと同じ効果を持ちます。
続いて位相検波器出力の最大値を知るために参照信号の位相を調整する必要がありますが、前述のように位相検波器出力を最大値になるよう位相調整するより、出力が0Vになるよう調整する方が精度良く設定できます。
したがってまず図7のようにサイン検波器にて出力が0Vになるように参照信号の位相を調整します。この状態で検波器のモードをコサイン検波器へ切り替えると図8のように位相検波器出力の最大値が測定できます。またこの時測定対象の信号と参照信号の位相は一致しており、位相調整時に移相した量から位相情報を得ることができます。
本測定では検波器出力の利得を10倍に設定しているため、入力信号の振幅値 250mVpk に対応する2.5Vの直流電圧出力が得られています。
3. 位相調整不要の二相検波方式
位相検波器が1つの場合、入力信号の大きさや位相を求めるためには前述のように可変移相器による手動調整が必要になります。ところがサイン検波器とコサイン検波器を1つずつ、計2つ使用すると煩雑な位相調整をしなくとも振幅と位相を以下の計算式3、4より求めることができるようになり、手動調整不要の自動測定系を組込み・構築することができます。
式3
式4
アナログ的に二乗和のルートやアークタンジェントを求めることは難しいのですが、各検波器の出力をAD変換してデジタル値にすることによりこれらの演算は容易となります。
検波ボード・モジュール評価ボード
当社のベクトル検波ボードVD-291は上記二相検波方式のコンセプトを製品化したもので、位相検波器2つと参照信号の位相を外部電圧制御できる電圧制御移相器が1つ実装されています。直交位相検波のアナログ出力をデジタル変換し参照信号と同期した成分の位相と振幅の値をDSPで演算し、それらの値をアナログ電圧として出力することができます。
また位相検波器(LPF含む)と電圧制御移相器のみが実装された評価基板(PA-001-1095/PA-001-1096/PA-001-1097/PA-001-1098)も用意しておりますので、モジュール組み込み用途の事前評価にも対応頂くことができます。
4. 雑音処理能力
位相検波器はロックインアンプの心臓部に使われ、雑音に埋もれた信号を検出することができます。位相検波器を使うとどの程度の雑音が除去できるのでしょうか?
10kHz, 1pApp(正弦波)の信号検出
参考測定例として、低雑音の広帯域電流アンプSA-607F2(変換利得10GV/A)と位相検波器にて、10kHz 1pAppの正弦波電流検出に挑みます。下の写真は電流アンプの出力ですが図9 10pAppのときは何とか見えるものの、図10 1pAppでは雑音に埋もれて、まったく観測することができません。(図中での縦軸スケールは 1pA/10mV → 5pA/div)
次に位相検波器(CD-552R2)に 1pAppのアンプ信号を入力し、位相検波器の出力にLPFを入れてその出力をオシロスコープで観測します。今回は検出する信号の存在を視覚的に分かりやすくするため、参照信号の周波数を電流信号周波数10kHzから意図的に0.1Hzだけずらしています。すると検波器出力は直流成分ではなく0.1Hzの正弦波となり、その振幅は入力信号に比例します。(一方で周波数をずらしているため、本測定では位相の情報を得ることはできず、またそれを目的としていません。)
位相検波器出力波形
※周波数は0.1Hz に変換されています。
このように位相検波器後のLPFの遮断周波数を1Hzまで下げていくと、電流アンプ出力時には完全にノイズに埋もれていた元信号である10kHz, 1pAppの電流信号をSN比良く観測できます。前述しましたが、ホワイトノイズに関してはLPFの遮断周波数を1/10にすると理論的にSN比は10dB(約3.2倍)改善します。
同様に 10kHz, 10pApp の電流信号に関しても以下のようにLPFの遮断周波数を下げていく毎にSN比が良くなっていく事が分かります。
位相検波器出力波形
※周波数は0.1Hz に変換されています。
当社 CD-552 シリーズは標準で 1kHz のLPFが内蔵されていますが(CD-552R4は10kHz)、抵抗およびキャパシタを外部に追加することでLPFの遮断周波数を低く設定できるようになっています。また出力の利得も外付け抵抗の値により1~10倍の間で可変できますので、用途に応じて様々な条件を設定することが可能です。